中国武術の起源〝人間が獣に戻った〟?~後編
〔最初に、、、この文章ではいつくかの翻訳文がありますが、これはあくまで私の日本語レベルでの翻訳です。ご満足頂けないかもしれませんが、ご理解の程よろしくお願いします。〕
先日お話した〝中国武術の起源〟について、の続きです。
前回はこちらからです▼
前編の後に続くこの本の中の文章では、歴史に残る〝人間と虎が格闘するいくつかの物語〟を紹介しています。そして、その不合理性を説いています。
(この部分は、孔子*1が弟子との問答の中で、如何に人間が虎と戦うのがバカバカしいかという話の例などが挙げられていて大変面白いのですが、今回は割愛させて頂きます。又いつかご紹介できれば嬉しいです)。
そして今回は、そのあとに続く最も重要な文章を訳してみます。
翻訳文:
【下の図を見てわかるように、人類の進化は常に前に向かっていて進歩的です。
従って、人類の生存競争において人間が獣と戦うという厳しい闘争の中で、武術の技術が生まれたというような説は、人類社会の進化史に反しているということになります。
このような後退は、人類社会の進化史上においては未曾有です。
彼達は(今までの学説を唱える方々は)「旧石器時代、人間達は獣との闘争の中において、必然的に走り、跳躍し、避けて、転げ回り、拳を打ち、蹴る、などを行うことによって、その技能が身に付き、またそれが徐々に形成された。」
と言うのです。
ですがこのような推測は、人類の進化と社会発展の法則に反していると考えられます。
事実上、人類は進化するにつれて❝走る・跳躍する❞ 等といった技能は退化していっているのですから。
それなのにその逆ではなく「人間は獣にまた戻った」とでもいうのでしょうか!】
翻訳は、ここまでです。
上記は、私が特に面白いと思った箇条になります。
この学者さんは何遍にも渡ってこうしたことを強調しているのですが、ここまで読まれた方はどう感じられるでしょうか。
(特に中国武術に関わっておられる方は、どう思われるでしょうか?)
『人間は進化論において進化しているのに(❝道具を用いて生活するようになったのに、又そのことにより身体の機能は退化していっているのに❞)、武術の起源から見ると( ❝素手で戦っていた❞だなんて)、また後退して獣にでもなったのですか?』
というのは、とても興味深い考察だと思います。
確かに、人間が獣にでもなるぐらいの能力があれば、一対一で虎と戦うことは可能ですね。面白い表現です。
(私自身も幼少の頃から武術のトレーニングをしていますが、未だに虎と戦って勝てる気はしませんから💦)
また、これ位強い表現を繰り返すからこそ「本当にそうかも?この学説の方が正しいかも?」と、先ずは今までの定説を疑ってみようとすることが出来るのだと思います。
そして〝人間は獣とは素手では直接戦えない(前編で記載)〟とありますが、
そうだとしても、代わりに道具を使ったり集団的に狩猟したりすることによって、本来の運動能力が高められたことは間違いないのだと思います。
そのことから見ると獣との戦いは、直接的には武術の誕生とは結び付かないかも知れませんが、〝間接的にはその役割を果たしている〟ともいえるのではないでしょうか。
そしてもう一つ、私はこの説から良いことを学びました。
それは〝今までと違う物の見方をする〟というのは、大変重要だということです。
常識だと思っていた物事の根本を見つめ直し、様々な角度から思考を巡らせることは、創造力を刺激され新しい発見が出来るとても面白いことです。
私も仕事上、武術や太極拳のことについて書かれている色々な本を読んで日々勉強していますが、どうしても〝業界の常識〟という狭い範囲に囚われてしまいがちになります。
でも運動生理学から見れば本来はどうなのか、また教室に来て下さる方が練習する時には、どういう形で行えばその魅力が伝わって練習出来るようになるのか、等々、、、頭を柔らかくして考えることで色々なアイデアが生まれるのを実感するので、物事の視点を変えて見るというのはとても大切なことだと感じます。
( でも、今の歳になって気が付いたとは。相当アホかも、、、)
『武術は人間が獣と戦って生まれたものではない』・・・ ???
長い間、中国武術は人間が獣と戦う中で生まれたという定説を信じてきましたが、一概にそうは言えないのだと、私は納得です。
ではでは、、、中国武術とは主には何処から誕生して来たものなのでしょうか。
そのことについては、ゆくゆく、この論文の続きを読みながら又考えていきたいと思います。
長くなりましたが、ここまで読んで頂きまして、ありがとうございました。
また宜しければ、お付き合いください!
謝謝。
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