太極拳とカンフーのブログ『天天練功夫』

ある指導者の、あれこれ武道に関する日記です

新しい風の時代に生きる子ども達へ ~後編・自強不息、厚徳載物~

徐言偉 子供カンフーブログ

『天行健、君子以自強不息。地勢坤、君子以厚徳載物』

「自らすすんで努力し、励んで怠らない。万物を育む大地に習い、徳の厚い度量の大きい人間であれ。」

易経,中国周代の占い・哲学の書より

 

久しぶりのブログ更新の続編です。

前編は子ども達の試合の報告となりましたが、先に大袈裟なタイトルをつけたので、どのようにまとめようかと思いながらの更新なのですが、、、良かったらお付き合い下さい。

 

1月に試合に出場した我がチームの生徒達ですが、続いて大阪で開催された長拳検定試験(日本武術太極拳連盟主催の中国武術の実技検定試験)に臨みました。

今回の検定は2級検定となる為、6~3級を合格して比較的長い間練習を重ねてきた生徒達が受験しました。

また、同時に既に1級を合格した者が受けることが出来る難しい初段検定もあったので、私のチームからは中学生で10年ほど練習してきた生徒も頑張って受けてきました。

当日は、私は他の仕事があったので付き添いはできませんでしたが、皆今までしっかりと練習してきたので信頼して送り出しましたよ。

(コロナ渦が長かったので、やっと思うように検定を受けられるという嬉しさもありながらのことでした。)

 

検定試験は、これも試合と同様に自分を試される場所となりますね。

もしかすると試合より緊張するかも知れません。

なんせ合格か不合格かをはっきりと出されてしまうので、自分の実力とまさに!直面です。

 

でもこれも又、子ども達がカンフーを練習するにあたっての良い張合いとなり、チャレンジをすることは、今までの練習に対する一つの結果や基準ともなるので、、、緊張があったとしても挑戦するやりがいがありますね。

また、例え不合格だったとしても様々な発見があり、そこで得る学びはとても大きいものですから。

子供たちの成長 徐言偉カンフーブログ

 

そしてそして、検定が無事終わりまして、なんと嬉しいことに、、、全員合格しました!

前日に開催される長時間の事前講習もあった中で、本当によく頑張りました。

当日は皆、結構冷静に臨めたようで、陰ながら心配していたのは余計なことだったようで、良かったです。

本当に本当に、おめでとうございます!!

頑張って練習した甲斐がありましたね。

お疲れ様でした。

子供カンフー検定試験 合格おめでとう

 

そしてその後の教室はというと、新年のイベントも終わり、今は通常時の練習に戻っていますが、プレッシャーもなく楽しくレッスンを行っています。

 

子どもたちの緊張もひと段落、皆自由に練習していますね、良かったです。

子どもは遊ぶのが仕事、遊びの達人でもあるので、カンフーの練習も遊び心を加えて知らない間に上達してくれてた!という形がベストだと思っています。

またこれからもその様な練習を、再び心がけていきたいと考えています。

そしてその上での試合といったイベントがあることで、普段の練習にもメリハリが出るので、そうした意味でも試合や検定に臨むのは良い経験だと改めて感じています。

徐言偉 子供カンフー教室 練習風景

徐言偉子供カンフー教室 練習風景 パンダ長拳

徐言偉 子供カンフーチーム くまとり

 

さあ、そしてここからが本題なのですが、これからの時代、子ども達と共にどのように練習を重ねていこうかと模索中であります。

 

これからの時代は、もう既に吹いてきているのかも知れませんが、、、「新しい風が吹く時代」であると言われていますね。

新しい時代の子供の成長

 

『風の時代?』

これってどんな時代でしょう。

その風は、「暖かい風」だったり、「心地良い風」とかでしょうか。

または、「追い風」とかかな?

一般的には、新しい爽やかな良い時代になる、というようなことがいわれていたような気がしますが、、、。

 

でも、、、こんなことをいうと良くないと思われるかも知れませんが、、、私は必ずしも一般的に言われる〝良いこと〟ばかりの時代ではないと思っているのです。

 

具体的な言及は避けますが、

これからは「古い価値観が見直されて新しい価値観に切り替わる時代になる」といわれているようですが、、、

私もそうだと感じています。

たまたま(?)流行り病が来て色々な価値観が変わっていったように、古い価値観はもう大分前から行き詰まりを見せていると思うからです。

社会においても自分自身の人生においても、必要のない古い考え方に囚われて、無理が生じてしんどい思いをしていたりするなあ、と思ったりもするからです。

 

そして、

そんな時代に真っ先に吹くのは、もしかしたら「突風」だったり、「もの凄い逆風」だったりするかも知れないな???とも思っています。

風の時代の子供カンフーチームの在り方

(古い価値観から脱するには、一掃されるような大きな風が必要なのでしょうか?)

 

だけど(まあ見当違いかも知れませんが)、例えばそれがそうだとしても、一つ言えることは、

どんな風に対しても結果的に『良い風』に変えていくことが出来るかどうかは、究極的には一人一人に掛かっていて、個々の努力次第ではないかな?、、、と思うのです。

 

例えば、突風が吹いたとしてもまずは身を守るために、頑丈な傘を差すとか、避ける為に屋内に逃げるとか、情報を先に得ておいて雨戸を閉めておくとか、または風の反対側に立って風を受けないとか。

はたまた自分の居る所がヤバそうなら、小学校の校舎に避難させてもらって皆で協力しあうとか?

また次の手として、突風に対してこちらから変化風を吹かせて追いやるとか???

または思い切って、突風のこない場所に引っ越しするとか?

(あくまでも例えばの話ですが、、、。)

 

そういったことをして、、、

〝風〟という『運命』を変えていけるように、

逃げるということだけではなく、またはそれをも含めて現実的に立ち向かっていくという姿勢が大事なのでは?と思っています。

「光と影から学ぶ」陰陽哲学 徐言偉カンフーブログ

 

そしてもう一つ、大事になると思うことがあります。

中国の易経(占い・哲学*1)の中に、『厚徳載物(こうとくさいぶつ)』という言葉があります。

これは、坤(こん)という卦で、「地」を差しているものですが、

「厚い徳をもってして万物あらゆるものを載せる」という意味で、

簡単にいうと、大地の上に地上の全てのものが載っていて営まれており、大地は常に厚い徳を積んでいるという意味です。

人も母なる大地の上で生活をしていますが、その人間自体も大地に習い 大いなる懐を持って徳を育んで生きていくのが、〝地上で生かされている人の道〟というものです。

それはどんな時代であっても、または大変な時代だからこそ、自分一人で身勝手に生きていくのではなく、母なる自然に生かされているということを自覚して、互いの為に助け合うといった徳を積んで歩むということが、忘れてはならない大事なことになるのではないでしょうか。

また、陰陽哲学の中に示されているように、陽があれば陰があり、陰があれば必ず陽があるというバランスによって世の中は成り立ち、物事は常に同じ状態を保つことはなくいつも変化していますが、これは 陰(かげ)から光(陽)を学び、光から陰を学ぶということも示していると思います。

そのことからどんな世の中にあっても 目に見える事象だけに振り回されることなく、自分をしっかりと保って日々を丁寧に生きていくことが、突風なんかではなく〝爽やかな風〟を吹かすことに繋がるのかも知れません。

母なる大地は徳を持って慈悲を授ける 徐言偉カンフーブログ (偉そうなことを書いていますが、私自身はまだまだ未熟者ですので、あえて奮起するために書いていることをご了承下さい。)

 

そして 大きな視点や時代の流れから見たら、そうした新しい風が吹くことによって、年齢の上での子どものみならず、肉の上では大人の私であったとしても、私達人間というものは、まだまだまだまだ到底〝子ども〟だということが顕著となるのかも知れません。

そのことにより結果的に新しい価値観である風を、世の中にもたらしていくことになるのかも?と思っています。

そして、そこでの過程や学びがあってこその『新しい爽やかな風の時代』が来るのではないでしょうか。

 

だからこそ、子どもである私達(私)は、自律した大人を目指して、地に足をつけて大いに学んで歩んでいかねばならないのだと思います。

爽やかな風を吹かせて徳を積む 徐言偉カンフーブログ

 

ところで、その〝地に足をつける〟とは一体どういうことでしょうか?

ここで、(私個人の立場から見ると、)今まで何の為に武術を練習してきたのか?という問いが生まれてきます。

武術とは当然相手を殺傷する技術であるわけですが、武術家がそれを振りかざすだけではただの野蛮な殺人者でしかありませんよね。

人それぞれ、武術を始めた動機というのは異なるとは思いますが、散々戦いに明け暮れて悲惨な想いをしてきた人類史において、そのような武術は本当にまだ必要でしょうか?

もういい加減に、他者と戦い奪い合うだけという幼稚な武術からは卒業した方が良いのではないか?と思うのは、私だけでしょうか。

 

なのでそうした考えのもとに、武術に道が備わり〝武道〟となるという哲学があるわけで、その道とは先ほどの〝徳〟ということに繋がってきますよね。

そして厳しい時代には、特にその人としての徳というものが問われると思います。

 

綺麗ごとばかり言っていられない世かも知れませんが、それなら尚のこと、世の徳、人の徳といったものが必要となるのではないかと思います。

そして、強い心というのは健全な身体に宿るわけなので、弱い身体のままであってはそれらを携えることが困難であるのは目に見えています。

その為に武術という身体の使い方を研究され尽くされた運動をして、心も鍛えようということになってくるのではないでしょうか。

 

目に見えない本物の心の強さを武術を通して携えるということが、人としての本当の武の道であるなら、

自らすすんで努力し励んで怠らないという『自強不息(じきょうふそく)』、そして世の為である『厚徳載物』を以てして、身につけていくことが大切となります。

現在においても武術を練習する意義は、そこにあるのではないかと思います。

徐言偉カンフーブログ『厚徳載物』

(でもこれは、誠に自分自身にとっても耳の痛い「言うは易く行うは難し」でもあるのです、、、 でも理想もないと物事は良くならないとも思っています。)

 

さあさあ、新しい風の時代、〝子ども達〟が爽やかな風を吹かせることが出来ますように、そして立派に成長して大人となれますように、、、。

 

私はこれからも小さいけれど一講師として、中国武術という先人からの良き智慧を引き継いでいけるように、、、

教室の子ども達に対しても また社会に対しても、微力であっても〝厚徳載物〟を実践していけるように、何ができるのか思考錯誤して頑張っていきたいと思います。

爽やかな風を吹かせて徳を積む 徐言偉カンフーブログ

稚拙な文章を最後まで読んで下さり、本当にありがとうございました。

非常/\ 感謝!

 

 

徐其成中国武術研究会

徐言偉(ジョ・ゲンイ)

公式サイト:https://www.jyokanfu.com/

爽やかな風を吹かせて徳を積む 徐言偉カンフーブログ

 

もうすぐ鯉のぼりの季節が、またやって来ますね。

日本の文化も素晴らしい!引き継いで残して欲しいと願います。

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*1:易経とは、一説には5000年前に現れたとも言われる中国の古典です。

優れた修身哲学の書であり、帝王学の書であり、占いの書でもあります。

孔子論語などに比べるとかなり難解で読みにくい本ですが、占いとして占いらしく活用する人は多くとも、生粋の哲学・学問として研究する人はまだまだ少ないです。

人としていかにして立派に生きるか?心を磨く指南書として活用できます。

「易経「厚徳載物」受容の精神 | 宇宙を旅する音楽家 泉優 (yukiartist.com)」

より、上記注釈文、拝借いたしました。