大昔に日本へ来て、太極拳とカンフーを教えています ~前編
徐言偉(ジョ・ゲンイ)と申します。
私は1990年に中国から日本へやって来て、太極拳とカンフー(中国武術)を教えています。
はてなブログへは、今年の5月から引っ越してきました。
今日はとても個人的な内容ですが、改めて自分のプロフィールについて書こうと思います。
ご興味を持って頂けたなら、読んで下さればとても嬉しいです。
私は1968年に、中国遼寧省瀋陽市の武術を生業にしている一家の元に生まれ、8歳から父の徐其成(ジョ・キセイ:中国では結構有名な武術家)に、中国武術のトレーニングを受けました。
▼父のことについては、別のページでも紹介しています⇩
母も親族も武術家だったので、私も弟も当然のように幼い頃から訓練を受けていましたが、今になって思うとその内容は、子どもにとってはとても厳しく辛いものだったと思います。
日本と中国は教育のあり方が違ったので、中々イメージは出来ないと思うのですが、
例えば、、、
柔軟性を高める為に、脚を長椅子の上に縄で前後に括り付けて固定し、長時間我慢したり(痛くてわーわー泣いたとしても容赦ありません)、
朝5時から夜9時まで、長拳*1などの6種類の武術の技や套路(とうろ)*2などを、繰り返し練習したりしました。
これは無酸素運動になるわけで大変キツイのですが、これを年がら年中幾年にも渡り行うわけです。
また、武器の三節棍*3の技を練習をしすぎて、肩を損傷し数か月腫れた状態でも練習するとか、
刀術の練習で疲労困憊し、手元が狂い耳とか腹を切るとか、、、しょっちゅうでした(この時左耳は半分まで裂け、手術を受けました)。
普通の子供たちが通う学校にも行かず、です。
でも、そもそもこれが普通だと思って毎日の練習に励んでいたので、その甲斐あってか10代の頃に遼寧省武術チームに入団、プロの選手として約5年ほど活躍、中国各地の試合に出場し、13歳の時には中国全土の伝統武術の大会にて螳螂拳(とうろうけん)*4で優勝しました。
写真はその当時のものですが、比較的最近の演武の動画も上げておきますので、ご興味があれば見て下さい。
そして、この時代はまだ中国武術の世界大会というものがほぼ無かったのですが、
たまに〝世界大会で1位の中国武術家〇〇さん〟という他の方の記事を目にしますが、私も出ていたらきっと優勝していたはずです(虚勢!笑)。
そしてそれから、北京体育大学・武術学部に入学し、長拳や南拳*5、太極拳*6等々の沢山の実技を修得し、他にも運動生理学や中医学、武術史などを学びました。
そしてこの頃は今と違って、女の子に大変モテました(もちろん嘘です)。
▲北京で開催されたアジア大会の、オープニングセレモニーで表演した時の写真
(左:徐言偉、右:弟の言平)
▲父のお弟子さんの李志超さん(右)と。ジェット・リーが中国全土のチャンピオンになった時、彼は2位でした。
この当時の私の演武の写真がなぜか全然無い為、弟の写真を張っておきます(こんな風に跳んでいたと想像して下さい。本当ですよ!)
ちなみに、弟の言平(ゲンペイ)は身体能力が高く才能もあった為、大変優秀な成績を収めていて、当時日本のメディアに取り上げられたりもしていました。
この少し前から中国ではカンフー映画がとても流行っていて、同級生達と共に敵役とかエキストラをしたこともありました。
▲一番右、顔は見えませんが後ろ姿の人物が私です
▲左から2番目が徐言偉。この時は北京の紫禁城で撮影があり、同級生達と共に参加しました。
そして選手であった間、日中交流の為に瀋陽武術団の一員として、日本全国津々浦々へと遠征し、チームメイトと共に舞台で演武等を行いました。
▲白丸が徐言偉
▲徐言偉ー上写真:左青の表演服、新聞:左側人物
この頃は特に何も考えず旅行気分で日本へ来ていましたが、当時アイスクリームがとても美味しかったのを覚えています。
父の徐其成も若い時から日本の北海道や京都へ武術指導に来ていて、そのこともあってか日本にとても縁が深いことを感じます。
たまに父が当時教えていた生徒さんが、年月を経て私の教室に来て下さることがあったりして本当にビックリしますが、人の縁とは面白いものですね。
まだ続きますが、今日はこの辺りまでにします。
長くなりましたがここまで読んで下さり、ありがとうございました。
謝謝!
《追記》
後編をUpしました。
宜しければ▼