〝父の日〟に敬意を込めて
今週のお題「お父さん」
〝父の日〟に敬意を込めて
私の父は中国に住んでいます。
私は中国の瀋陽市に産まれて、20歳の時に日本に来ました。
現在、京都で生活していますが、中国にいる父は今は81歳になります。
父は中国武術家で(↓写真はほとんど若い頃のものです)
武術家といったら〝自称〟ということもあるかと思いますが、父は本物の武術家といえる人です。
日本では知る人ぞ知る位ですが中国ではまあまあ有名人で、なぜ有名かといえば武術家としての腕が認められているからなのですが、そのエピソードは数え切れない位あります。
分かりやすい例で言えば、若い頃に中国全土のプロの試合で幾度にも渡り優勝をしたり、周恩来のボディーガードをしていた時期があったり、アクション俳優のジェット・リーの師匠であったこと、などなどです。
こういうことを書くと全部自慢に聞こえるかも知れませんが、家族にとっては日常の話をしているだけで、父の社会的立場と父の人生とは切っても切り離せないものなのです。(話すとなるとどうしても自慢になってしまいます、エッヘン!・・・すみません😲)。
ですが父が本当に凄かったことは、身体能力が並外れて優れていたわけではなかったのに、小さい頃から誰も真似できない様な大変な努力家だったということです。
父はどうしても武術が上手くなりたくて、苦しい苦しい苦しい苦し~い修行も、自ら進んで行いました。
例えば、実践の練習の為に部屋を真っ暗にして蝋燭を立て、梅花桩*1の上で九節鞭*2の練習をしたり、
その他には、素手で鉄板を繰り返し打って拳を鍛えたり、ブリッジをして弟に上に座らせて長時間耐えるとか、
マイナス20度の極寒の日に、外で裸になって汗が出るくらい練習するとか、、、色々。
想像に値できない練習の数々で、話し切れません。
(私には到底できません、、、)
また父は当時の貧しかった中国において、武術で稼いだお金で妻や子供といった家族を養うのみならず、母方の両親や兄弟・親類の経済的な力となり、武術家として自立出来る人材も沢山育て、大変な功徳を積みました。
また北海道で武術の普及に努めたり、日本においても活躍しました。
現在の81歳に至っても、毎日の練習のみならずまだまだ武術の普及に勤しんでいます。
だから私は、父が武術家として優れているからというのみならず、情愛や人徳を備えて周囲の人々を支えてきた人物として、大変尊敬しております。
そして、私が日本で代表講師を務めて活動している「徐其成(ジョ・キセイ)中国武術研究会」も、父の名前から付けました。
これは日本では私の名前と間違えられることもある為、少々紛らわしいものでもあるのですが、私にとっては雲の上の武術家、レジェンドの名であり、息子の特権だと思ってのことです。
また私の今の武術の技術や考え方は、父から教わって引き継いできたものであるからこそ、大事にしたいという思いからです。
ですが、、、
それらのことを今、私は指導者として皆に充分に伝えきれているのでしょうか???
もっと頑張らないといけないなと、改めて思っています。
奇しくも去年の10月、中国の両親の元へ帰りました。
武漢コロナウィルスが流行る、ほんの少し前でした。
何か予感があったのか、その時はいつもに増して親孝行をして来たのを覚えています。
次回はいつ帰れるのでしょうか。父も家族も、無事でいて欲しいです。
そして、またお父さんに逢いたいものです。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
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▲この写真は北海道の新生日中協会のメンバーが、瀋陽の我が家に訪れた時の写真です(1981年頃:徐其成・右から2番目、息子の徐言偉は真ん中左の子供、その左上が妻、一番左子供が次男の言平、そして他の兄弟や親類たち)